はじめに
分からないことがあったらどうしますか?
親に聞きますか? 先生に聞きますか?
僕はたぶん、ネットに聞きます。
ですが、ググった情報が正確とは限らない。
それでも、間違った情報を信じてしまったり、思い悩んだり。逆に正しい情報と分かっていても、信じられなくて、疑ったりします。
今回は、そんな「インターネット」について考えてみました。
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インターネットに共感を求めない
インターネットを利用して沢山の人が、情報をアウトプットしています。
生活に何か迷いが出たら、すぐに調べることができます。
ただし、100%正解の情報はありませんね。
人は、自分に直面した困難を、他人の教訓から似ているものを探して共感させてるのだから、それが正解と思ってしまうのは当然です。
「やらないで後悔するぐらいなら、やる」という人は、やらないで失敗した人か、やって満足した人が共感して集まります。
「やって後悔するぐらいなら、やらない」という人は、やらないでも満足した人か、やって失敗した人が共感して集まります。
教訓としてよく耳にするのは前者ですが、これが正解ということではありません。起きている現象は「自分が無意識に行なっている似たもの同士達との共感」です。
例えば、インターネットで「仕事の悩み」と検索する人は、広告に転職サイトが出てきて「転職をするべきだ」という情報が人より多く目につきます。これで「やっぱり転職が大事なんだ」と思ってしまう人もいるでしょう。
このような現象は「カラーバス効果」と呼ばれるものに似ています。
「この情報は正解なんだ」などと思う前に一旦は現象のようなものとして、冷静に判断しておきたいところです。
「歪んだ複製」が多い
そもそも、インターネットに書かれた内容は、インターネットが作っていませんか?
例えば「Yahoo!知恵袋」あれは、まさにそうですよね。決して批判したいわけではなくて、質問の答えが、ほとんどネットで調べて答えた「大喜利」みたいになってるのは事実です。
インターネットで調べた情報を、またインターネットに書き込む。
その時、主観として新しいエッセンスやニュアンスを混ぜているのかもしれませんけど、新しいものが生まれてるというより「歪んだ複製」です。伝言ゲームみたいなものです。
その証拠に、自分が自信を持って答えられるマニアックな質問の答えを探してみたら、的を外していたので、なるほどと思いました。
インターネットに書き込む人は何かしら目的があって、発信欲が強い人や表現者であることが多いと思うので、そちらの方の主観が、知らずのうちに強めに偏っているのだと思います。
おわりに
大体の人は、何かに疑問があって調べる時、すでに自分の中に答えを持っていることが多いです。けれど確信できない。だから同じ意見を持つ賛同者が欲しい。
何かを信じるには根拠が必要ですからね。
でも、ここで重要なのは「同じ意見がある」ということは根拠ではないということです。
たとえ同じ意見がいくつあっても、納得させる材料にはなりますが「正しい」という証明にはなりません。
同じ意見を持った多数派が間違った判断をすることは、人類の歴史からみても明白です。
だからこそ、最初に抱いた根拠なき答えや直感がすごく大事であったりしますね。