路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

座右の銘と言葉に隠れたモットー

はじめに

「座右の銘」は英語で「motto」

"座右の銘"を周囲に公言する人がいますが、それとは別に、モットーというのが隠れていることがあります。

そんな「座右の銘」と「モットー」についてエッセイをつづりました。

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- 目次 -

 

座右の銘は、ありますか?

僕は好きな言葉はありますけど、座右の銘は決めていないですね。

座右の銘を語ったり、他人へ強要するのも好きではないです。

ちなみに、今まで聞いた事ある人の座右の銘は、当人のイメージと真逆で、どれもピンとこなかったです。

例えば「雨降って地固まる」って言っている人が、揉めごとを避けてきた平和主義者だったり、いつも眉間にシワをよせている人が「笑う門には福きたる」って言っているわけですよ。

だから一見、らしさや信念を述べたつもりでも、願望や憧れのほうが強いのかなと思います。

好き勝手にさせてくれよ、と言われたらそれまでですが、間違いなく必要に迫られて作るものではないですよ。

そのようにしてできた座右の銘とは、どれもこれも自らを鼓舞するための意味合いが強すぎます。

自分を奮い立たせる言葉を持ち続けるのも結構ですが、その言葉と矛盾しないように行動していくことは、逆に足かせになっているようにしか思えません。

人生のあらゆる場面で使える万能な言葉があるのなら、僕も出会ってみたいものです。

 

おかしな言葉に隠れたモットー

レジでお金を受け取る時「1,000円からお預かりします」と言うのは日本語としてオカシイって言いますよね。あとは、レストランの店員が「以上で宜しかったですか?」とか言うのもオカシイみたいですね。

でも正直、僕は全然気にならないです。伝わればいいんじゃないかなと思います。

僕が寛大だなんて事を言いたい訳じゃないですよ。人それぞれ気になってしまう言葉が違うようなんです。

知り合いに「つもりだった」って言葉が嫌いな人がいます。「〜していたつもりでした」というセリフ。 つもりじゃなかったら何だったんだ、と思うようです。

たしかに、使ってしまう気持ちは分かりますが、この場合、言い訳以外の意味がないですからね。

実は僕にも引っかかる言葉があるんですよ。「私の中では、こう思います」という言い方。 僕も使ってしまう時ありますが、「の中で」という所が引っかかります。

「思う」って事は 「私の中」からしか出てこないので「の中で」は要らないはずですよね。私の中以外から思うことは出来ませんから。

たぶん、この言葉を使う人は、日頃から無意識に「他人の中の思い」を自分の思いとして話す ことがあって「(今回は)自分の中で」と言っているのか。

それか「(あなたの思いは知りませんが)私の個人的な思いとしては」という保険。 いずれにしても、良く言えば優しい人で、悪く言えば気にしすぎの人だと思います。

「私は、こう思います」で良いですよね。

僕の場合、自分に足りないところだから気になるんだと思います。

こんな感じで、自分だけが引っかかる言葉ってのは、自分のコンプレックス、もしくはポリシーやモットーみたいなものが隠れているのかもしれませんね。

どうでしょう。引っかかる言葉、ありますか?

 

おわりに

いかがでしたか?

このように意識的に言葉にすることで、そうなろうと努力することもあれば、無意識のうちに拘りが言葉に現れていることもあります。

言葉は面白いですね。