路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

人生の時間に対する考え方

はじめに

すべての人間は必ず死にます。

遅かれ早かれ、生きている時間には限りがあります。

それを分かった上で人間は生きていきます。

だから、好きな時間を過ごしたいと思うのは自然なことですね。

でも、好きな時間とは何でしょう。

嫌いな時間は何でしょう。

好きと嫌いがあるのなら、それ以外の時間は何でしょう。

今回は「時間の考え方」について綴りました。

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 - 目次 -

 

効率が良ければ良いわけでもない

1日の時間は24時間。

どんな人も時間は平等に与えられています。

人生には猫の手も借りたいほど忙しい時間もあれば、退屈でのんびりとした時間もあります。

目覚ましが鳴る朝は、布団から出たくない時もあります。

こんな時は「あと5分でもイイから寝かせてほしい」と思いますね。

でも逆に、予定のない休日でダラダラと過ごしてしまう日もあれば、そんな時は「この 5分をあの時の朝に使いたい」なんて思うのかもしれません。

ただ時間は止まることなく平等に流れています。

一人だけスピードを変えることもできません。

となると、代わりに求められるのは効率でしょうか。

しかし、のんびりとした休日の夜に「明日の朝の準備をしておけば、翌朝は5分長く寝れるよ」と言われても面倒くさいですね。

それを言うと例えば、年末にやってる大掃除も12月にやらなくていいです。

ただでさえ忙しい年末を選んで、みんな揃って掃除しているんですから、別に2月でもいいし、8月でもいいです。年に1回やれば事足ります。

しかしまぁ、そういう事ではないのなら、なんでもかんでも効率が一番ってわけではないようですね。

 

ルーティンも大事ではない

帰宅後の鬼のルーティンを紹介しますね。

「家に帰ったらまず、お風呂で湯はりボタンを押しておきます。その間に炊飯器のボタンを押します。そして料理を作ります。作り終わる頃に、ちょうどお風呂の湯はりが終わるので、子供と一緒にお風呂に入ります。洗濯機を回しておきます。その頃、ちょうどお米が炊けてます ので、先ほど作った料理と一緒に食べます。そうすると、ちょうど洗濯が終わっています」 という効率的ルーティンです。

でも、子供の話を聞いてあげたり、疲れているので早めに寝たかったり、 ご飯じゃなくて麺が良いとか、明日は雨で洗濯物は干せないとか。いろいろと発生します。

だから このルーティンは完璧には実現しません。

どんな動き方が大切なのかは、いちいち決めていなくても 自然と無意識に、毎日、毎分毎秒、判断しているわけですね。

そう考えると、生活リズムや、家族の体調、 明日の事や自分の時間... ルーティンより大切なものはあります。

ルーティンの優先度なんて激的に低いです。

 

おわりに

好きな時間の為に、嫌いな時間を過ごしている人がいます。

こうした人は、嫌いな時間を過ごすことで、好きな時間が生まれるという考え方をします。この場合、好きなことと嫌いなことが常にセットで発生するので、好きな時間だけで充足させることができません。

そうではなく、例えば「仕事しなければ、生きていくことができない」という状況の人は、それが好きか嫌いかの前に「好きか嫌いか」の選択する考え方自体がありません。

なので、好きな時間と嫌いな時間という区別ができるという時点で、嫌いな時間が生まれる問題は、環境や他人ではなく自分自身の中にあります。

そもそも「好きな遊びをする為に、嫌いな仕事する」という考え方では、嫌いな仕事をすることを自らが「好きで選択」していますからね。

だから僕は、好きなことは、どんなに小さなことでもイイので、嫌いなことを必要としないものから選ぶと良いと思っています。

つまり最初は、他人にお願いしたり、多額のお金を使うことのないものから見つけるべきと思います。

それが出来なくて、先ほど述べた「好きな時間を作るために嫌いな時間を作る」という負のループに陥っている人をよく見かけますから。