路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

選択の連続はそんなに重要?

はじめに

「人生は選択の連続である」

シェイクスピアの名言です。

勉強するのか遊ぶのか、起きるのか寝るのか。

ご飯を食べるのか仕事をするのか…。

日々、何をするにも人生とは選択の連続ですが、何気ない選択までもが、そんなにも重要なことなのでしょうか?

今回は「選択」について考えてみました。

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選択肢を増やしただけでは価値はない

子供の頃「勉強して頭の良い学校に行ければ、なれる職業の選択肢が増えるよ」って大人から言われた事ありませんか?

将来やりたい事ができるという事なんでしょうけど、 これは正しくもあり、間違ってもいるのかなと、今になっては思います。

例えば、子供に「晩ごはん何がいい?」と聞いたら「ハンバーグイイ!」と答えました。

でも「カレーとハンバーグどっちがいい?」と聞くと「ハンバーグイイ」と答えたんです。

これでは、さほど ハンバーグを望んでないように聞こえますね。強制的に選択肢を与えられることは「自ら選んだ」という自覚が薄れるのかもしれません。

実際に、高学歴で色々な職業を選択できる人材になれても、就職した後になって「自分がやりたい事はこれじゃない」と言って、起業する人もいるぐらいですからね。 だから僕が思うのは「選択肢から選択しないといけない」という決まりもないですし、 選択肢を増やすという選択をしただけでは価値はないわけです。

種類が豊富なパン屋さんを選択して行ったら、色々ありすぎて迷った挙句、オススメの新商品を選択して美味しくなかった、なんてこともあります。選択肢を増やしたところで、そんなもんですよ。

 

言うよりも語るよりも、動く人

選択肢から選択した後に、それをやるのか やらないのかの選択を迫られることもありますね。

例えば、オリンピックをするかしないか。

緊急事態宣言を出すか出さないか。

まだやっていない事をアレコレ言うと、それは口だけの人。

やってからの事をアレコレ言うと、それは結果論の人。

さて、どちらがいいのでしょう。難しいですね。どちらかと言えば、口だけの人の方がまだ いいかもしれません。その後、実行すれば良いですから。逆に結果論を語るだけで、その後も 何もしないのは誰でもできます。これでは 後だしジャンケンです。 後だしジャンケンに勝って喜んでいる場合じゃありませんね。もはや言ってからでも良いし、 やってからでも良いので、先に行動できる人は優れているように思います。

まぁ、実際のところ、世間は そんなに甘くないですけどね。

先に行動しても間違った判断なら叩かれます。 口先だけで語ったら「やってから言え」と言われて、思い切って行動してみたら 「やる前に言ってくれ」と言われることもあります。

でも、後になって結果論を武器に あれこれ語る人よりも、 先に立って行動に移せる人が優勢となれる社会であって欲しいです。

 

おわりに

皆がためらう事にも行動に移す選択をした人や、失敗しても実行するという選択を何度も繰り返した人だけが、選択できるものがあります。

選択肢は与えられるものではなくて、自分から積み重ねて見つけていくものなんですね。