路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

時代のせいにする時代

はじめに

最近「時代の流れにのれていない」とか「あの人は時代錯誤だ」という言葉をよく聞きませんか?

なんでもかんでも「時代のせいにする時代」なんですかね。

それとも、時代が変わると、正しいとされていることも変わるのでしょうか。

変わっているのであれば、それは、もともとが間違っていたのでしょうか。

そんな「時代」について考えてみました。

f:id:rojiuranojihanki:20220223081116p:image

 - 目次 -

 

時代のせい? 時代のおかげ?

28年前(1998年)僕が小学生の時、宿題を忘れると頬に平手打ちする恐い先生がいました。

ある日「宿題を忘れた生徒は手を挙げなさい」と言われて、手を挙げたら十五人ぐらいいたんです。生徒の半分くらいが後ろに横一列で並ばされて、男女も関係なく、右から順番に容赦 なくビンタされていきました。最後の生徒が怖くなってしまって、手で顔を隠したら、それに 腹を立てた先生が怒鳴りながら、2回ビンタしていました。頬が真っ赤になっていましたね。もちろん女の子は泣いていました。

今の子供は信じられないでしょうね。

僕も大人から思いっきりビンタされたのは あの日以来、一度もないです。

たとえ猪木でも遠慮しておきます

時代って、怖いですね。体罰は反対ですが、善し悪しの議論に興味はないので、そこは深掘りしません。

僕が興味を持ったのは「その先生は時代のせいだったのか」という点です。

おそらく この先生は今の時代に生まれていたとしても先生をしていたような気がするんです。

しかし、その場合、子供を叩いてはいないのかもしれません。

この場合は、時代の「おかげ」ですね。

きっと本質的なものは、いつの時代も何も変わっていないんですよ。

時代のせいにしている人ほど、時代のおかげに、あやかってる人かも知れませんよ

 

「今」を生きてる人は後悔しない

将来の為に貯金しようとか、子供の頃に勉強しておけば良かったとか、未来や過去に生きている人って多いんですけど「今」を生きている人って案外、少ないんじゃないですか?

ご飯が美味しいなぁとか、空がキレイだなぁとか、不思議なもので「今」を感じることって、 忘れがちです。

未来を考えて生きるという事は、もちろん大事です。

でも実際にその未来がや ってきた後は、またその先の未来の為に生きようとする。そしてまた未来がやってくると、またその先の未来というように。

終いには、自分が死んだ後のことまで考えている人までいる。

となると、僕たちは一体いつの時代の為に生きているんですかね?

そんなに頑張って未来の為に生きてしまうと「未来の為に生きてきた過去を後悔してないか」 という問いを人生の最後に自分に課してしまうような気がします。

今だけを生きている生物は、未来も過去の事も考えないんですよね。

だから、イソップ童話の「アリとキリギリス」のアリがキリギリスに向かって「夏の自分を思い出して後悔しろ!」と言ったとしても、もしかしたらキリギリスは後悔するどころか「歌って踊って最高の夏だったなぁ」と幸せな夏を思い出して、ニコニコと笑って冬に死んでいるのかもしれません。

 

あとがき

「今の時代はそういう時代」という言葉は、時代という言葉自体に、文化や風潮の意味を含んでいるように使われています。

しかも、自然発生というよりも人間達が自らで生み出しておいて「新時代が到来する」と言っていたりします。

つまり、新しい時代を考えていることは、他人達の行動を予測していることと似ていますね。

その予測によって自分の行動を決めるわけですが、その自分の行動も他人から見れば他人の行動です。

時代を意識した行動が時代を作っているという無限ループの出来上がりです。

そう考えると、時代の流れなど意識しない方が、むしろ自然的に思いますが、世間ではうまくいきません。

だから、世間的には時代の流れにのっているかのように見せておいて、ひとり別の道に向かうというのが、賢いのではないでしょうか。