路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

必要な自尊心と不必要な羞恥心

はじめに

「自尊心」を辞書でひくと「自分を誇らしく思うこと」と出てきます。

そこまで重たく考える必要はないと思いますが、三十代後半をむかえた今「自尊心」は大事だなと思います。

歳を重ねると「自分の意見や考えが結局のところ最適だった」という場面が増えてきます。

例えば、主体性と協調性。自分本位と他人本位。普段の行いがどちらかに偏ると、周囲からは もう片方が大事だと指摘が入るようになります。

しかしそれは「間違っている」のではなく、中性、中和、中立という言葉のようにバランスを取ろうとする力が働いただけなんですよね。

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自尊心を大切に

たぶん、大人になることは、成長ではなく変化しているだけじゃないですか?

「私は成長してきました」

「君はもっと成長してください」

「みんなで成長しましょう」

なんか偉そうじゃないですか?

まるで、みんなが同じレールを走ってきているみたいな感じが、好きになれません。

子供は未熟者ですか?

息子が三歳の時に、仮面ライダーのモノマネをして、ポーズをとってキメ顔をしてきたんですよ。クスっと笑ってしまったんですけど、僕は後で「失礼だったな」と思ったんです。 人生で初めて芽生えた自尊心に傷をつけたのではないかと。

いや、ホントに。

それからは「もっと剣は高く持って、セリフを言ってから攻撃した方が、もっとカッコいいんじゃないか?」などと言っています。合わせているんじゃないですよ。

僕が思う「カッコいい」を伝えているだけです。

仮面ライダーの格好も、流行の服装も、全身高級スーツでも、カッコいいと思って着ているなら、根底にあるものは同じなんですよ。十代らしく、三十代らしく、五十代らしく?

いやいや「自分らしく」が一番イイです。

たしかに、変化はします。でも、成長なんていう偉そうなもんじゃありません。僕は、大人になって失ったものすらあると思っています。子供でも立派な一人の人格者。親の生き写しでもありません。

自尊心に傷をつけてまで成長したいとは思いませんねぇ。

 

羞恥心はいらない

恥ずかしいことって何で面白いんですかね。

俳優の佐藤二郎さんが、風呂場で過去の恥ずか しい出来事を思い出して、その場でまた恥ずかしくなって「ホイホイ、ワンモアタイム!」っ て奇声をあげる時があるんですって。

ワンモアタイム自体の意味はないらしいです。

いや~、自分だけじゃないんだと思って、ホッとしましたよ。

しかし羞恥心って、時にいらないですよね。

なぜ恥ずかしいと思うのかを調べてみたら「他者から期待されるイメージが逸脱したと感じたから」ですって。

これ見て、なおさら いらないなって思いましたね。

つまり、期待されたくない人達からのイメージを逸脱したい時には、恥ずかしいことをすれ ばイイってことですね。そうなってくると、恥ずかしいことをしても良い場面って、日常的に 結構あるなと思います。

有名なミュージシャンも「おまえを愛してるぅぜぇ~べぃべ~♪」みたいな事とか言っているし。

冷静に考えたら、メチャクチャ恥ずかしいことを言っていますよね。

それとも、夢追い人は世間から認められるまでは、すべて恥ずかしいことになるんですかね。

いや、もしかしたら恥ずかさってヤツは、可能性が満ちあふれる予兆なんじゃないですか?

 

あとがき

結局僕は「周りからどう見られるかを気にせず、自分らしく生きていくことが大事」と言いたいのですが、このような他人の言うことを聞こうとすると、自分らしくなくなるという可能性がありますよね。

例えば「人の話は聞かない方がいい」というアドバイスを取り入れたいと思ったら、その人の話も聞いてはダメですから。

「自分らしくしろ」と言われても「他人らしくすることが自分らしさです」と言えばいいんです。自分の答えは自分にしかないのですから。