路地裏のグラフィティ

日常に埋もれた論理的な話や哲学的な話

数値はないが、成果はある

はじめに

世の中には様々な「成果」がありますが、その成果を表すために有効なのは「数値」です。

成果を数値で表すと、学力なら偏差値。スポーツなら得点やスコア。沢山の成果が数値化されています。

中でも社会で密接に関係しているのは「お金」による成果ではないでしょうか。

学生時代は色々な場面で数値的な成果をもらいますが、一歩社会にでれば、いつの間にか給与所得という成果一択になっていないかと思ってしまうのは、僕だけでしょうか。

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給与なら売上。気持ちなら気持ち。

従業員は、企業から給与として金銭をもらうので、その代わりに売上や利益などの数値的な成果を求められます。

企業側が労働者の成果を、給与が多いか少ないかの一次元の"数値"で表して評価するため、対する労働者側の労働も売上や利益といった"数値"で成果を表さなければと評価はされないと ならざるを得ません。

これは仕事以外でも似ています。

親が子どもに「テストで100点をとりなさい」と言ったなら「100点をとったらお小遣いで1,000円ください」と子どもが言い返しても不思議はありません。逆に「テストを頑張りなさい」とだけ言ったなら「50点だけど、頑張ったんだから褒めてください」と言い返しても筋は通ります。

「数値が欲しいなら数値で返せ」

「気持ちが欲しいなら気持ちで返せ」

これは言い換えてみれば、数値でしか評価しない者には、数値でしか表せない成果しか返ってこないということ です。給与というお金の数値だけでの評価ならば、売上という数値を生み出す成果だけのお返しですね。

つまり、インセンティブを前面に打ち出した組織が生むものは「お金を増やしてくれたらお金で返す」と集団で合意したシンプルな利害関係です。

 

仕事がゲームなら、成果はレベル

そもそも「成果」というものは、数値で表すことができないものはおろか、目に見えないものが大半です。

ロールプレイングゲームで例えるならば、レベルアップは"成果"です。レベルが上がれば、強くなったことが数値で明らかになります。

しかし、レベルが上がったことを数値で表示せず、それをプレイヤーが知らなかったとしても、主人公が強くなっているという事実は変わることなく、ゲームを成立させることも可能です。この場合でも、目に見えないだけで"成果"は存在しています。

成果は成果。数値は数値。

「数値に変えなければ成果になっていない」というのは勘違いであり、落とし穴です。それでも人は、目に見えるカタチで数値化した尺度を欲しがります。感覚値だけを頼りに成果を認めてあげるためには、相当な量の自信が必要だからです。

なので、目的達成できる有能な人間ほど、対価を目的とした"労働"という枠組みに限らず、日常の無意識下で、数値変換の不可能な成果を積み上げているのかと思います。

 

まとめ

  • 数値に惑わされず、目に見えない成果を信じる
  • 数値を求めることは見返りも数値でしかない